【岩手】盛岡城跡公園(岩手公園) [観光/その他【岩手】]
2017年2月4日(日)。
今回の旅の最後に、盛岡城を訪れました。
帰りの新幹線の時間まで少し時間が余ったので、
あまり時間はありませんでしたが、行ってみました。
盛岡駅からは歩いて20~25分程です。
まず最初に訪れたのが、盛岡城の玄関口にあります、桜山神社です。
桜山神社は、江戸時代中期の1749年に盛岡藩の八代目藩主南部利視公が、
初代藩主の南部信直公を偲んで建立した神社です。
入口を入ってすぐの所に本殿があります。
本殿の脇にはお守りなども売ってました。
裏手には階段があります。
階段を上った所には、烏帽子岩が祀られています。
烏帽子岩は文字通り烏帽子の形をした巨石で、
盛岡城の築城時に出現して、
当時の藩主南部信直公はこの岩を端兆として慶びました。
それ以降、歴代の盛岡藩主が「宝大石」として大切にして、
この岩の前で神事が執り行われたそうです。
烏帽子岩の脇には、南部稲荷神社も併設されてました。
お参りをしましたら、城攻めです!
桜山神社の右手脇からお城へ行けます。
一番手前の三ノ丸です。
桜山神社の丁度裏手側になります。
そのままさくさくと二ノ丸へ。
二ノ丸。
二ノ丸には石川啄木の歌碑や記念碑などがあります。
こちらが石川啄木の歌碑ですね。
この歌碑がある二ノ丸は、石川啄木が学んだ中学校のすぐ近くにあるそうです。
時折教室から逃げ出してはここで文学の夢を結んだそうです。
二ノ丸と本丸は堀状の通路に架かった橋を渡った先にあります。
橋の上からの眺めです。
こちらが本丸です。
盛岡城は、三戸に居城があった南部信直が
1597年に盛岡城の前身である不来方に居城を移すために
嫡子である後の2代目藩主利直に命じて築城したと伝えられています。
本丸には、明治時代の南部家当主の銅像があった台座もあります。
銅像は無くなって台座のみ残されています。
帰りすがらの、先ほどの橋の下からの眺めです。
こちらは下から見た本丸部分ですね。
お城のお堀の池は、凍ってました。
お城の城郭の規模としては小さい部類に入ると思います。
造りも複雑ではないので、さくっと見て回れました。
入場料も無料で気軽に入れますので、公園といった雰囲気でした。
今回の旅の最後に、盛岡城を訪れました。
帰りの新幹線の時間まで少し時間が余ったので、
あまり時間はありませんでしたが、行ってみました。
盛岡駅からは歩いて20~25分程です。
まず最初に訪れたのが、盛岡城の玄関口にあります、桜山神社です。
桜山神社は、江戸時代中期の1749年に盛岡藩の八代目藩主南部利視公が、
初代藩主の南部信直公を偲んで建立した神社です。
入口を入ってすぐの所に本殿があります。
本殿の脇にはお守りなども売ってました。
裏手には階段があります。
階段を上った所には、烏帽子岩が祀られています。
烏帽子岩は文字通り烏帽子の形をした巨石で、
盛岡城の築城時に出現して、
当時の藩主南部信直公はこの岩を端兆として慶びました。
それ以降、歴代の盛岡藩主が「宝大石」として大切にして、
この岩の前で神事が執り行われたそうです。
烏帽子岩の脇には、南部稲荷神社も併設されてました。
お参りをしましたら、城攻めです!
桜山神社の右手脇からお城へ行けます。
一番手前の三ノ丸です。
桜山神社の丁度裏手側になります。
そのままさくさくと二ノ丸へ。
二ノ丸。
二ノ丸には石川啄木の歌碑や記念碑などがあります。
こちらが石川啄木の歌碑ですね。
この歌碑がある二ノ丸は、石川啄木が学んだ中学校のすぐ近くにあるそうです。
時折教室から逃げ出してはここで文学の夢を結んだそうです。
二ノ丸と本丸は堀状の通路に架かった橋を渡った先にあります。
橋の上からの眺めです。
こちらが本丸です。
盛岡城は、三戸に居城があった南部信直が
1597年に盛岡城の前身である不来方に居城を移すために
嫡子である後の2代目藩主利直に命じて築城したと伝えられています。
本丸には、明治時代の南部家当主の銅像があった台座もあります。
銅像は無くなって台座のみ残されています。
帰りすがらの、先ほどの橋の下からの眺めです。
こちらは下から見た本丸部分ですね。
お城のお堀の池は、凍ってました。
お城の城郭の規模としては小さい部類に入ると思います。
造りも複雑ではないので、さくっと見て回れました。
入場料も無料で気軽に入れますので、公園といった雰囲気でした。